聞いてくれよ、先生。
夏休みに友達が彼女とディズニーランドに行ったんだってさ。
俺はもう悔しくて悔しくて…。
ほう、いいなディズニーランド。
お前も付いていけばよかったじゃないか
カップルに同行するなんて虚しすぎるよ!
でもいいな、1人だけどいこうかな
ディズニーランドは1人でも、誰と行っても楽しめる場所だよな。
そんなディズニーランドは誰が作ったかちゃんと知ってるか?
ウォルト・ディズニーでしょ?それぐらいは知ってるよ
その通り。じゃあどんな人物だったかは想像つくか?
むむ…そういわれると、よく知らないな
今回紹介する本では、知られざるウォルト・ディズニー
の素顔を知ることができる。
彼の関係者によるインタビューが詰まっているから、
彼のリアルな表情を見つけることができるだろう
うおお、ウォルトさんの素顔か!ちょっと気になるかも
よし、今回もビシバシいくぞ!
今日もよろしく、先生!
青年期のウォルト
ウォルト・ディズニーといえば、ディズニーランドに目が行きがちだ。
しかし、ディズニーランドがオープンしたのは彼が50代のときだったんだ
そうなんだ、結構遅かったんだね
彼が若い頃の話を知らない人は多いはずだ。
ということで、ここでは青年期のミスター・ディズニーについて見ていこう
どんな子供だったんだろう
ロイ・O・ディズニー 兄
弟はアニメーションについて独学で勉強した。ある本を手に入れたんだが、それは彼のバイブルになり、そこから知るべき知識を身につけたんだ。
エイミー・ブース・グリーン;ハワード・E・グリーン.ウォルト・ディズニーの思い出.阿部清美訳.竹書房.2013.p22
ウォルトさんは昔からアニメーションに関心があったんだね
独学するほど熱意があったようだ
ロイ・O・ディズニー 兄
(前略)当てもなくハリウッド界隈をうろつく彼に、私はこう言い続けたものだ。「就職するつもりはないのか?なんで仕事に就かないんだ?」弟は職を見つけられたのだろうが、その気がなかったんだ。仕事に応募すると言ってはユニバーサル・スタジオに入り込み、セットで何が行われているかを眺めて過ごしていた。(後略)
同上.p25
就職する気はなかったんだね。
どれだけアニメが好きだったかが伝わってくるよ
この段階ですでに、自作のアニメの構想を練っていたそうだぞ
家庭でのウォルト
では、家庭でのウォルトはどうだったのだろうか?
優しいパッパだったのかな、それとも厳しいパッパ?
彼の娘たちと奥さんのコメントを見ていこうか
ダイアン・ディズニー・ミラー 娘
日曜学校の後、父は私たちをドライブに連れていってくれた。決まってグリフィン・パークに行き、遊具や乗り物で遊んだものだった。(中略)ただただ私たちを楽しませてくれた。彼は、私たちが何を楽しみ、どうして喜んでいるのかをきちんと調べていたのね。
同上.P43
いいパパさんじゃん!
どうやらミスター・ディズニーは
子どもたちを喜ばせる良きパパだったようだな
シャロン・ディズニー・ランド 娘
父はとても理解のある人だったけれど、同時に厳しくもあったわ。彼がノーと言えば、絶対にノーなの。私たちを叩いたりはしなかった。ただ片眉をピクリと上げるだけで、私たちにわからせるには十分だったのよ。
同上.P43
娘たちを楽しませると同時に、厳しい一面もあったようだ
『理解のある人だった』ていうぐらいだから、
単に厳しいだけの人じゃなかったみたいだね
リリアン・ディズニー 妻
ウォルトに言わせると、彼が当てにできるのは私だけだったらしいわ。決して彼の”イエスマン”ではなかったから。彼はちゃんとしたご意見番が必要だったのね。(後略)
同上.P43
奥さんのこと、とても信頼していたんだね
ミスター・ディズニーにとって、
家庭の場が大切なものであったことがうかがえるな
仕事場でのウォルト
じゃあ仕事場でのウォルトさんはどうだったんだろう?
仕事場で見せる彼の顔は多種多様だったようだぞ
ロイ・E・ディズニー 甥
他人に仕事を任せることを知らない人だった。それがおそらくウォルトの最大の欠点だろう。何事にも手を抜けない性格がたたり、晩年、彼はおかしくなってしまった。どんなものにも、どこかに彼の指紋がついているはずだよ。五回は見直さないと気が済まなかったんだ。(後略)
同上.P132
ウォルトさんは自分でやることにこだわる人だったんだね
そうみたいだな。
最大の欠点と指摘されるほどだから、余程のことだったのだろう
トミー・ウィルク ウォルトの秘書
私がウォルトのオフィスに勤めるようになった最初の一年、彼が不機嫌で些細なことにも毒づく状態になっていることが度々あった。(中略)「今朝お話ししましたが……」と、私が言うと、彼は「生意気なことを言うな!」と怒り出した。そしていきなり椅子から立ち上がってドアまで歩いて行き、振り返ってこう吐き捨てたの。「君はここで働かなくていい。行くべき場所は他にあるだろうからな」
同上.P157
てっきり彼がクビを言い渡したのだと思ったわ。(中略)すると、部屋に戻ってきた彼は私を呼びつけたの。彼は絶対に謝らなかった。ただ、他の仕事を見つける必要はないと言い、最後にこう付け加えたわ。「だけど、君はやっぱり生意気だ!」
長めのエピソードだね
激しい気性の持ち主でもあったのか
気分屋な一面があったことは事実みたいだな
バディ・ベイカー 作曲家
スタジオの門を通るとき、私たちは、門番から毎朝ウォルトの機嫌をサインで教えてもらっていた。彼が不機嫌だった場合は、「今日はクマの着ぐるみを着てるよ」と門番が警告してくれたものだった。
同上.P158
ミスター・ディズニーの不機嫌を合図するサインが存在していたようだ
クマの気ぐるみに例えられるなんて、
なんだか愛されてるな
オリー・ジョンストン アニメーター
子供からおたふく風邪をもらってしまい、私は四ヶ月も床に伏していた。(中略)ウォルトはずっと私を心配し、毎週木曜日、フランク・トーマスの車に乗せてもらっては自宅まで見舞いに来てくれた。この恩はより良い仕事をして返したいと、私は手紙を書いたよ。
同上.P112
1人の従業員のために毎週お見舞いをするなんてすごいなあ
彼は周囲への気遣いを忘れない人物だったようだ
【まとめ】ウォルト・ディズニーは多くの顔を持つ人物だった
まとめに入ろうか
- ウォルトは幼少期からアニメーションに関心があった
- 娘たちには厳しくも、理解のある父親だった
- 妻のことを信頼し、話を聞いてもらっていた
- 仕事を自分でやることにこだわった
- 気分屋で激しい気性の一面も持っていた
- 不機嫌のサインは「クマの着ぐるみを着ている」
- スタッフへの気遣いを忘れない人物
特に気になった部分はあるか?
なんでも自分でやることにこだわった、ていうのは印象的だったな。
やはり職人気質を感じるというか
そうだな
自分で試さないと気が済まないという熱意が、
今のディズニーランドを作り上げたといえるかもな
ウォルトさんのことが少しわかった気がしたよ
今回紹介できたのは、ほんの一部だ
本書では、彼の仕事に対する想い・夢が多くの関係者により語られている
ウォルトさんはもっとたくさんの顔を持っていそうだね
せっかくだし読んでみようかな
というわけで、今回の講義は以上だ
先生、今日もありがとう!